気が済むまで否定させる
がっかりしない、メソメソしない、どうしてもない、と忍たま乱太郎の歌を歌う幼稚園児を見かけたことがある。
すごく大事なことなのだ、これは。
~ない、という否定語によって、子どもは自分をつかむから。
外部のものを受け入れないことが、つまり反抗期なんだけど、これが私は他人とは違うんだ、自分なのだ!という気持ちの芽生えであり、その確認行為なのだ。
いつか否定は、あげ足取りに変わる。
人を認めないために、その部分に着目し、否定する。否定できる証拠を見つけたがる。
しかし、そのお陰で、その部分ではないところに、相手を肯定できる部分が存在する。
すると、相手の良いところを自然と発見できる。
おお、否定って大切。
ただし、今まで否定してきたから、肯定するのは恥ずかしいもの。口に出して相手を肯定するのは勇気がいる。
100%勇気、もう、がんばるしかないさ、なのだろうか?
いや、恥ずかしさを薄くするのは、家の風習でクリアできる。
親が人を褒め、肯定し、認める言葉を当たり前のように使いまくれば良い。
また、そういう発言をする大人と付き合わせればいい。
しょせん、子どもは、大人から言語を学んできたのだ。ずっと使える手段だ。
だから、間違っても否定言葉のオンパレードは、避けないといけない。陰口や悪口もだ。
意図して言葉を使うようになれれば、ほぼ勝利だろう。なんの勝負かは知らないが。
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