不感症だと感想文は書けない。
読書感想文の季節。
でも、そろそろ、この夏休みの宿題が、きっとなくなると思います。
読書感想文の宿題はなくなっても良いと思いますが、読書をしなくなることは、良いことではないと思います。
読書感想文の宿題でわかるのは、その子が不感症かどうか。
感じる心が、長い学校生活で殺されることがあります。
正解だけを求めさせる教育は、感じる心を消しやすいからです。
今までの学校では、どう感じたか、は、正解より価値が低い。
テストの点数にならない。
テストの点数にならないことは価値が低い。
しかし、感じる心を養うことは大切だと思います。
読書感想文は、感じたことを表現する練習の機会にさせてほしいです。
そのためには、タイトルで何を感じたか、から大事に表現してほしい。
表紙から何を感じたか。
一行ごとに感じて欲しい。
きれいな感想文が書けるのは極一部の能力者です。
しかし、人間なら誰しも感じることはできます。
感じたことの言語化は難しいかもしれませんが、これがメンタルヘルスに良いことなので、ぜひ鍛えてあげて欲しい。
心の中は文字になってないのだけど、心の中を文字にすれば、他の人と気持ちの共有化が計れる。
心の状態を人に伝える能力は、このストレス社会においては必須です。
そのトレーニングとして読書感想文をさせるなら良いことです。
読書感想文が苦手な人のほとんどが、文字を書くと腕がダルくなる人です。
だから、しゃべって録音したり、グーグルの音声入力を使ったりして、感想文を作ること以外のことはフレキシブルにさせてあげて欲しい。
腕がダルくなる人にしか、この気持ちは分からないと思います。
でも、まあ、無理でしょう。というのもフレキシブルな教師はいないかも知れないし、フレキシブルな学校は少ないかも知れないからです。
それでも、脳を鍛えるとは、柔らかくすることであって、硬直させることではないのです、と私は伝え続けます。
0コメント