騙されるから疑うのか?
駄菓子屋さんは、うちの近所にはなかったけど、小さい頃は、雑貨屋さん兼の酒屋さんがあり、そこでお菓子を買ってもらってました。
そこに売ってたコーラ飴は当たり付きだったので、当たるともうひとつコーラ飴をもらえてました。
ある日のこと、まとめ買いしたら3つも当たりが出たので喜んで交換にお店に向かいました。
すると、そこのお婆さんが出てきて、「あんたにだけ、そんなにあげられない」と私に当たり分の飴を値切って来ました。
3つの当たりで1つの飴にしようと言うのです。
昭和の時代は、こんなコミュニケーションの時代でした。祭りに行けばインチキの当て子屋が平気で子どもを騙していたし、このように大人が子どもをだましたり、口車に乗せてました。
このように周囲に騙されることが溢れていれば、騙されないように考え始めるかも知れません。人はウソをつくのが当然だから気を抜く訳にはいかない、と思って成長します。
疑うことは、考えることを始めるきっかけ。
人間は間違うし、だから人間はあてにならない。機械にさせた方が良い。それでも脳を育ててる間は、騙されたり、ウソをウソだと証明したり、本当かどうか調べたりさせたいところです。
人間は、子どもの間に脳を育ててるのです。
そのために、騙すやつが近所にいて、それをどうやったら上手く転がしていけるか考えるチャンスがあることは、もしかしたら良い環境だったのかも知れません。
ちなみに、そのお店のお婆さん対策は、おばさんを呼ぶことで解決しました。おばさんは普通に交換してくれました。
さて、信じることは思考停止することです。ですから、疑うことをどれだけ体験させるか、意識してみてください。
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