マナーを教えるな。
日本人は知らないかも知れないが、マナーにismを付けるとマンネリズムなのだよ、という話。
さてさて、県立高校では就職が決まった子らにマナーを教えているところがある。
多くの企業でも新入社員にはマナーを教えている。
しかし、マナーの意図を考えさせる講座は少なく、私のセミナーくらいしか私は知らない。
マナーは何のためにあるか、考えさせることが何故そんなに良いのか、と言うと、マナーは単なるルーティーンではないからだ。
お客様が増えたら、それはマナーである。
利益が増えたら、それはマナーである。
マナーには、そういう意図がある。
つまり、お客様が増えないなら、それはマナー講座で習ったものであっても変えなければ会社が潰れるのだ。
どうやったら、より良くなるのか考えて試してみる。という当たり前のことはマナー講座では教えない。教えた通りにできなければダメだと云われる、教育委員会の大好きなパターンなのだ。日本伝統のパターン。
「決まっていてお前らには覆せない」という素振りでマナーの先生が上から評価するのがマナーなんだと思う。守破離の守しかやらないヤツ。
「脳から目線」だと、マナーを知らないことよりも、相手のことを考えてアクションする習慣がないことが危機である。
相手のリアクションも考えずに、覚えたマナーを繰り出せば契約が取って来れるなら、それで良いのだけど。
マナーは大切だし、マナーで売り上げが上がることや、マナーでライバル企業を出し抜くことができる職種だってあるだろう。
しかし、その効果や、その内容改善について目をつぶったまま、何も考えずに従うというのは、ビジネスパーソンとしてのマナー違反だろう。
今の時期、大学生は就職活動がスタートしてて、少子化と好景気でマナーの価値は下がってるかも知れない。
しかし、考えることの価値はずっと続くから、考えることはさせて欲しい。思考停止が日本の毒なのだ。
意図のないマナーは、マンネリだよ。
マンネリが好きな人以外は価値を感じないだろうね。
0コメント